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大阪高等裁判所 昭和37年(く)122号 判決 1964年3月23日

異議申立人 川崎勇次

決  定

(異議申立人氏名略)

右の者に対する猥褻図画販売等被告事件について昭和三十七年十二月八日大阪地方裁判所がなした判決の執行に関する検察官の処分に対する異議認容決定に対し検察官から即時抗告の申立があったので当裁判所は次の通り決定する。

主文

本件即時抗告を棄却する。

理由

本件即時抗告申立の理由は、本件記録に編綴の大阪地方検察庁検察官検事竹内猛作成の即時抗告申立書に記載の通りであつて、その要旨は原決定は昭和三十七年四月二十七日大阪地方裁判所において被告人川崎勇次外五名に対する猥褻図画販売等被告事件の判決言渡の際、被告人川崎に対しては懲役八月の実刑の言渡があつたに拘らず、当時相被告人であつた村松半九郎等の容易に信用し難い証言を採用して右懲役刑に三年間執行猶予の言渡があつたものと認定し、右懲役刑の執行指揮処分は不当であるとして本件裁判の執行に対する異議の申立を認容したのは不当であるからその取消を求めるため即時抗告に及んだというのである。

よつて本件刑の執行に関する異議申立事件記録及び大阪地方検察庁から取寄に係る判決結果票並びに村松半九郎他五名に対する猥褻図画販売等被告事件記録を精査して原決定の当否について検討すると、凡そ判決は法廷において宣告と同時にその効力を発生し、その言渡刑と判決書の記載とが異つている時はその言渡刑によるべきものであるところ、昭和三十七年四月二十七日大阪地方裁判所が言渡した被告人川崎勇次外五名に対する猥褻図画販売等被告事件の判決書謄本によればその主文において「被告人村松半九郎を懲役一年に、被告人川崎勇次、同中尾義隆を各懲役八月に、被告人鈴木康央、同笹島栄、同松井里一を各懲役四月に処する。但し被告人中尾義隆、同鈴木康央、同笹島栄、同松井里一についてはいずれも本裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。」との記載がある。ところが立会検察官作成の判決結果票によれば、被告人川崎勇次に対する関係において、その判決欄に懲役八月、年三間執行猶予と記載されて後、右三年間執行猶予とあるうちの不動文学を除く数学の「3」の字が抹消されているのであつて、その経緯につき原審証人伊藤正利の証言によれば、同証人は本件判決の宣告に立会つた検察官であるが、右判決言渡の際裁判官の声が低く且つ早かつたのでよく聞きとれなかつたが、被告人川崎勇次の関係は執行猶予だと思つたから、当日法廷で右判決結果票に懲役八月三年間執行猶予と記載し、その結果票は後に公判部長検事、次席検事の認印をえて執行課に回付したところ、その後になつて執行課から右結果票の記載と判決書の記載が被告人川崎勇次の刑の執行猶予の有無についてくいちがいがあるとして問合せを受け、同検察官も判決結果票の記載に必ずしも自信がなかつたため、判決書の記載の方が正しいのだろうと答えたので、その後判決書の記載に合うよう右執行猶予の記載が抹消されたことが認められる。次に右判決の宣告に書記官として立会つた原審証人美馬久雄は、判決言渡当時のことははつきり記憶しないが、被告人六名のうち村松のほかにもう一人実刑を言渡された者があつた。執行猶予を言渡す時は裁判官が早口だつたため、執行猶予になつた者の名前が全然判らなかつたので村松のほかにもう一人の実刑が誰であるかはよく判らなかつたが、村松は保釈中だから収監の手続が必要であつたが、もう一人の方は不拘束で収監手続も要らないので、誰か判らなくてもよいと思つた。又山下判事は自分が立会つた限りでは何某以下を執行猶予にするというように執行猶予の者を一括して宣告したことはない旨を証言している。更に原審証人村松半九郎、同中尾義隆、同鈴木康央、同笹島栄、同松井里一の右証言を見ると、同証人等はいずれも共同被告人として本件異議申立人川崎勇次と同時に判決の言渡を受けた者であるが、判決言渡の際の模様につき、中尾証人は実刑を言渡された村松以外の五名に対してはその一人毎に刑期を告げると共に何年間執行猶予という言渡があつた旨証言し、中尾証人を除く四証人は判決は被告人村松、同中尾、同川崎の順序で言渡され、被告人村松のみが実刑で他の五名に対しては執行猶予の言渡があり、その際「被告人中尾以下は三年間執行を猶予する」との表現がなされた旨を証言している。

そして判決の宣告は主文及び理由を朗読し或いは主文を朗読すると共に理由の要旨を告げてなされるものであつて、判決主文の記載に「被告人何某以下は何年間刑の執行を猶予する」というような表現を用いることは通常なされていないところであるから、最初から「被告人中尾以下は三年間執行を猶予する」との表現をもつて刑の執行猶予の言渡がなされた旨の村松、松井両証人の証言は到底信を措きがたく、記録中の前示被告事件の判決書謄本に徴しても少くとも主文の朗読の際には刑の執行を猶予すべき各被告人の氏名を具体的に明示したものと考えられる。なお前記村松、中尾、鈴木、笹島、松井各証人の証言は何れも首尾一貫しないところがあり、内容もあいまいで、正確な記憶に基いて供述したものとは認められない点が多く、到底全面的にこれを信用することはできないものであるが、しかし右各証言の一部と前示証人美馬久雄、同伊藤正利の各証言、村松半九郎他五名に対する猥褻図画販売等被告事件記録、前記判決書謄本並びに判決結果票の各記載に更に原審証人布井要太郎の証言によつて認められる。同証人は異議申立人川崎勇次の国選弁護人として前示被告事件の審理に関与した者で、判決言渡当日は出廷しなかつたのであるが、当日右判決の言渡があつた後川崎勇次が同弁護人の事務所を訪れ、判決の結果を報告して「おかげさまで執行猶予になりました、ありがとうございました」と挨拶した事実をも綜合して考えると、前示被告事件の判決言渡に際し、裁判官は最初は一応判決書の草稿に基いて前記判決書謄本の記載と同様の主文を朗読したが、その後理由の要旨を告げた後或いはその前に、更に右主文の趣旨を被告人等によく理解させる目的で説明を加えた際「被告人中尾以下は三年間執行を猶予する」旨の表現を用いたもので、裁判官としては判決主文には被告人村松、同川崎、同中尾、同鈴木、同笹島、同松井の順序に記載しているため右の「被告人中尾以下」と言つたのは被告人川崎を含まない趣旨であつたところ、被告人等においては裁判官から氏名を呼ばれて並んだ順序が前記判決書謄本の被告人の表示欄記載のように被告人村松、同中尾、同川崎、同鈴木、同笹島、同松井の順になつていたため、右の「被告人中尾以下」というのは被告人村松を除く他の五名全部を指し、従つて被告人川崎も刑の執行猶予の言渡を受けた者の中に含まれているものと解し、なお立会の検察官も、裁判官の声が低かつたことなどのため、被告人川崎に対し刑の執行猶予の言渡があつたことにつき必ずしも確信を持つたわけではないが一応そのように解したので、判決結果票にもその旨を記載し、且つ右被告事件の事案の内容等から見て特に不審を抱くこともなく、そのまま公判部長、次席検事の認印を得たうえこれを執行課に回付したことを推認することができる。証人美馬久雄は被告人村松のほかにもう一人実刑を言渡された者があつた旨証言するが、同証人の証言は主文朗読後になされた裁判官の判決趣旨の説明には何ら触れていないから、同証言も右の推認を妨げるものではない。そして右のように裁判官が判決主文を朗読した後更にその趣旨をふえんして説明した際、裁判官は判決の趣旨を正確に伝えているに拘らず被告人等がその過失によつて判決の趣旨を誤解したに過ぎない場合は、最初に朗読された主文通りの判決が言渡されたものと解すべきことは勿論であつて、たとえ被告人において実刑の言渡があつたのを執行猶予の言渡があつたものと誤信し、それがために上訴期間を徒過したとしても、もとより救済の道はないといわなければならない。しかし本件の場合は裁判官は判決の趣旨を説明するに当つて「被告人中尾以下は三年間執行猶予」という表現を用い、右の「被告人中尾以下」というのは、さきに朗読された判決主文の記載順序からすれば被告人川崎を含まない趣旨と解せられないこともないが、当時裁判官の声が低く且つ早口だつた等のことも考えれば、被告人その他の関係人は主文の朗読だけでその趣旨を充分理解し得たとは限らないし、殊に前記のように被告人等がその氏名を呼ばれて裁判官の前に立ち並んだ順序が被告人村松、同中尾、同川崎の順になつていたのであるから、右のように判決の趣旨を説明するにあたり「被告人中尾以下は三年間執行猶予」という表現をすれば、その際の裁判官の姿勢、態度等によつては右の「被告人中尾以下」というのは被告人村松を除くその余の被告人全員、従つて被告人川崎をも含んだ趣旨と解せられる余地は充分あり、その余の説明等によりその中には被告人川崎は含まれないことを特に明確にしている場合は格別であるが、本件の場合判決の結果に対し重大な関心を有する筈の検察官すら、被告人川崎についても三年間執行猶予の言渡があつたものと一応理解したところから見ても、被告人等において川崎も三年間執行猶予を言渡されたものと解したのは無理からぬ所であると考えられるのであつて、このように判決の宣告に際し裁判官の用いた表現が誤解を生じやすいものであつたため、裁判官としては実刑の言渡をしたつもりであつたにしても、これを聞いた検察官、被告人等の訴訟関係人をして執行猶予の言渡があつたものと理解せしめたと考えられる場合(そのように理解するについて何ら過失の認められない場合に限る)には、判決宣告の効力としては裁判官の意図如何に拘らず、刑の執行猶予の言渡があつたものと認めるのが相当である。このことは裁判官がその主観ではあくまで判決書記載の刑を言渡したつもりであつたが、客観的には宣告の際誤つて判決書と異る刑を言渡した場合と何ら異る所はないのである。

して見ると昭和三十七年四月二十七日大阪地方裁判所において前記被告事件の判決宣告に際し本件異議申立人川崎勇次に対して言渡された刑は判決書の記載とは異り懲役八月、三年間刑の執行を猶予するというものであるから懲役八月の刑の執行のための呼出等検察官のなした裁判の執行に関する処分は不当であり、原決定が異議申立人川崎勇次の本件判決の執行に関する異議の申立を認容したのは相当であるというべく、従つて原決定の取消を求める検察官の即時抗告は理由がないものといわなければならない。

よつて刑事訴訟法第四百二十六条第一項に従い本件即時抗告はこれを棄却すべきものとし主文の通り決定する。

(裁判官 奥戸新三 竹沢喜代治 野間礼二)

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